チカゴロのワシ

未定

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計画性が無い

どうやら管理人は「長期にわたる計画を立て、計画に則って事を進める」というのが苦手らしい。

今回のリニューアルにしても

「あ、そうだ、ここんとここうしよう」

「コレは終わった、えーと次は何をやろう」

てなカンジで、まったく計画性が無い。



知人でファイナンシャルプランナーのB氏は、理想を遠くに掲げ、とても計画的に着実に進むワザに長けていると思う。



これはどうやら、手帳をつけるだけでは解決するような問題では無いらしい。

どうすればいいのでしょう・・?

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今年はまだラクなほう?

毎シーズン、季節の変わり目は肩こりや頭痛がひどくなるんだけど、今年はわりと穏やか。

神経内科に通ったり、新しい方法を試したりして、

いろいろと薬や運動をしているからかな?



でも、いったいどれが効いているのか、よくわからん。

このまま全部続けなきゃイカンのかな。

歴史散策・・大給城

8月末に、豊田市松平~大給城へ行ってきました。

これまでに松平郷は何度も行ったけど、大給城(おぎゅうじょう)は初。







大給城は、歴史にはあまり出てきませんが、

世に言う「十六松平」(十四、十八と数える場合も)のひとつ、「大給(おぎゅう)松平氏」の居城です。



評価は・・☆みっつ!いや、いつつ!

写真で見てもらえればわかると思うけど、

まったく後世の手が加えられていない、朽ち果てたままの姿。

天守や館の復元は言うに及ばず、石垣の積みなおし、城址公園等の整備を全く受けていない、完璧なまでの保存状態です。

古城を案内した書籍などにも、保存状態のよさを「全国でも貴重な存在」と記されています。



これまで多くの城址を見てきたけど、ここまで感動した城は岐阜県岩村城くらいかなぁ。

行った事は無いけど、滋賀県の「観音寺城」も同じような保存状態と聞いています。

また、写真を見る限りでは観音寺城のほうが規模が大きいし、古い。

うーむ、次のターゲットは観音寺城かな。



ちなみに、写真の青い長袖シャツはワシ。

グレーの半袖は、歴史散策仲間のS氏です。



書き足りないので、また後日感想を追加します。

==============

(追加)

考えてみるに、この城が復興事業を免れたのは、

「歴史的にマイナーな城」だったからかもしれない。



奇跡的に天守が残った数少ない城は例外として、

このヘンで言えば清洲城、墨俣城、小牧城、岡崎城。

全国で言えば掛川、長浜、大阪、名古屋などは

歴史的に有名すぎて「かつての雄姿が見たい」という要望が多いのだろう。いや、もっと多い声は

「歴史的に有名な城を復興して観光事業を興そう」かな。



しかし、鉄筋で中にエレベータまで設置して、何の意味があるのか、理解に苦しむ。

無くなってしまった天守は、見る人が頭の中に描けばいいと思う。そのほうが、歴史の楽しみ方として健全だと思うんだけど。



そうゆう意味では、歴史的に有名なのに天守を復興しない信州の上田城、金沢城などは、賢明な選択だと思う。

ただ単に復興費が無いだけで、本当は再建したいのかもしれないけど。



たとえば、名古屋城は、みんなでっかい天守にばかり気を取られてしまっているが、3つの隅櫓(すみやぐら)は建築当初の姿をとどめていて、重要文化財なのだ。

特に「清洲櫓」とも呼ばれる御深井丸西北櫓は、「清洲越し」の際、解体した清洲城の資材を使って建てられたと言う。

この櫓だけでも、地方の城(たとえば伊予宇和島城)の天守に匹敵もしくは上回るほどの規模の建造物なのだ。

これには目もくれず、鉄筋で出来た天守をありがたく見ている観光客の方々には、「もったいないことをしてるなぁ」と思えてしまう。

まぁ興味の無い方々にとっては、あの有名な『名古屋城の金のシャシホコ』と天守を見ることのほうが重要なのでしょうが。



歴史散策・・聖徳寺跡

捜し求めた聖徳寺跡。







その昔、織田信長と斉藤道三が会見した場所と伝えられる場所。

相次ぐ木曽川の氾濫により、寺は何度も移動し、当時の正確な場所はわかっていないが、一宮市(旧尾西市)富田のあたりと伝えられる(当時の地名は「尾張国中島郡富田」)



その後、秀吉が何度か陣所としても使ったらしい。



後世、川の氾濫により寺は流れ、今は姿をとどめていない。

現在は川の流れが変わって、当時寺のあった場所は川底にあるらしい。



何年か前、愛知県や一宮市などに問い合わせてみたが、場所はわからなかった。今回、一宮市尾西歴史資料館で場所がわかったため、訪れてみた。

このへんを信長の鉄砲隊が通ったのかもね~



ちなみに、ワシが訪れた場所などは

e-Gaya!スポット

http://eeyore.jnsr.com/~koji/spot/php/

にもアップしてありますので、こちらもご覧下さい。

よかったら、クチコミ情報も残して行ってくれると嬉しいんですけどね。。

比良の梵鐘

ウィキペディアで「佐々氏」のページを見ていたら、

次のような文章が出てきた。



「尾張国比良の大永5年銘の梵鐘に、寄進者に「佐々下野守藤原貞利」と刻銘されており・・」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%B0%8F



ナニっ。尾張国比良といえば、ワシの家のすぐ近くではないか。

調べてみたところ、西区比良には寺がふたつしかない。

マイケッタマシーン「シュピーゲル号」にまたがり、

さっそく出かけてみる。



ところが。

無い・・

どちらの寺にも小さい鐘はあるのだが、古来の「梵鐘」なるものはおろか、鐘楼さえも無い。

都会の寺なので、敷地を削られるうち、鐘楼をなくしてしまったのだろうか。

まさか梵鐘までも遺棄したりはしないだろうが、戦時中(太平洋戦争中)に軍に徴収されてしまった可能性もある。



また、20年くらい前までは現在よりも比良という地名が広く使われていたので、違う寺なのかもしれない。



地元のヒーロー佐々氏のファンであるワシにとって、ぜひにも見てみたい。



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